2008年03月09日

冬鳥越スキー場にて

 かつてここには冬鳥越と言う駅があった。
 小さなスキー場の前にある小さな駅だったはずだ。
 インターネットの上にはその時代を映した記憶の断片が幾つも漂っている。
 ここには小さいながらも地域に根ざした軌道があった・・・・

 先日この前を通る道を走る機会がありました。
 幾分やつれた姿ながらも蒲原鉄道の車両がまだそこに鎮座しているのを見て安心したものです。
 自らの企業のルーツとでも言うのでしょうかね。
 大事にされてるなと言うのは感じました。

 ただ
 背景のスキー場はもう何年も営業してない雰囲気です。
 おそらく10年単位で営業してないんじゃないでしょうか。
 造雪機も無い平地のスキー場では雪が降らねば営業できない筈。
 今年や一昨年は兎も角、去年のような暖冬では営業にならないでしょうね。

 いろんな意味で日本を変えつつある暖冬の恐怖をちょっと感じました。

投稿者 風来坊 : 21:00 | コメント (3) | トラックバック

2007年08月27日

これも懐かしい! …のか?

bt204_hokutosei.jpg

 鶯谷で撮った北斗星ですね。
 ローピン81も東日本からは絶滅したんでしたっけ?(笑)
 多分、EF58-89のイベントかなんかが回送で入るのを撮りに行ったものだと思います。

 それにしても、いつの間にこんなの撮ったんだろう?って画像がザクザク出てきて焦りますね(笑)

投稿者 風来坊 : 22:17 | コメント (3) | トラックバック

2007年08月26日

懐かしい画像

picturebordone3.jpg

 古いHDDを漁った結果シリーズの二枚目です(笑)
 おそらく足尾線内でしょうね。
 さよなら足尾線と言う事で運転された旧型客車のイベント列車に乗ったときの事だったと思います。
 記憶が正しければ、まだ高校生だったような気がしますけど・・・・

 パックとDE101705で挟まれて走ったこの列車。
 スエ78を挟んでいて電暖の引き通し線が使えず、往路は暖欠でした(笑)
 今なら考えられない事ですが、当時はこれでOKだったんですねぇ・・・・

 首都圏色のキハ30、後は40でしょうか。
 高崎の気動車が八高線と足尾線で共通運用だった時代だと思います。

 もう15年以上前ですね。
 懐かしいなぁ・・・・

投稿者 風来坊 : 23:47 | コメント (0) | トラックバック

2007年07月07日

あの頃は撮れなかった……

ef65_02.jpg

 うちからリンクしているJZX81さんのBlog『二線譜の調べ』に、耳の痛いエントリーが起されていました。
 タイトルは『撮らなかった写真』です。
 いや、マジで、耳から血が流れるくらい痛い話です(激汗)

 毎週のようにカメラを持って写真を撮りに行っていた高校生の頃。
 横浜線で八王子に出ると、横浜線ホームから八王子機関区が見えました。
 いや、今でももちろん見えるんですが・・・・ね。
 当時は矩形庫の中に65-500が居たり、給油線にDD51がゴロゴロ休んでいたりしたものです。
 あの頃の自分といえば、動いていない鉄道車両に何の価値も感じず、庫に寝ている釜達は単なるオブジェでしかありませんでした。
 それこそ、どんなクソカットでも良いから、走っている列車を撮らないと意義を感じないで居た訳です。

 そこに意識の落とし穴があるのか、それとも、単なる自分の観察力不足だったのか。
 今となっては後悔でしかないのですが、それこそあの頃見られたすべての形式があそこで惰眠を貪っていたように思います。
 今はもう失われた車両だけでなく、新塗装に切り替わった車両も多いわけですよ。

 なんであの時一枚でも撮っておかなかったかなぁ・・・・
 あの頃は撮らなかった一枚、あの頃は撮れなかった一枚。
 なんか追い討ちをかけるように立ち直れない事ばかりです(ToT)

 只見線の一件でなんかまだ腹が立って仕方がないので気分転換でした。(汗)

投稿者 風来坊 : 23:26 | コメント (5) | トラックバック

2007年05月04日

レールバス……


 今宵のトラバ先は鉄道写真集団G.O.N.メンバーのタケシさんが公開されているBlogピンチ商会の5月3日付けエントリー『晴れた日にはカレーでも』です。
 別に晴れて無くてもカレーで良いじゃん!って気がするんですけど、ダメなんですかね?(笑)

 まぁ、それはさておき、カレーの向こうにチンマリと写っているのはレールバスですね。
 今は無き南部縦貫鉄道の本当にバスそのものだった鉄道車両ですな。
 製造は富士重工だった関係でエンジン音とかはバスと同じですし、マニュアルだった変速機のシフトレバーなんぞ古いバスの棒そのものでした。

 野辺地駅で出発待ちをするレースバス。
 2002年の時点で軌道整備し復活させる腹積もりだったようですが、やはり現実は厳しかったようですね。
 地方自治体が各所で断末魔の悲鳴をあげる中、無理にでもこの鉄道が復活していたら・・・・
 そう考えると薄ら寒いものすらあります。
 タケシさんのエントリーにあるように、七戸構内で動態保存されているだけでも幸せだと思うべきですよねぇ・・・・・

 そう言えば、銀河線の陸別はどうなったんだろう?
 

投稿者 風来坊 : 23:56 | コメント (2) | トラックバック

2007年04月21日

磐越西線のスーパースター


 なにやら20日にC57-180の試運転があったそうです。
 酒の師匠が出撃されたようですが、磐越西線へ蒸機が戻ってくると春なんでしょうねぇ。
 でも、本来、あの路線のスターはこの機関車だった筈!

 な~んてのはDD51ファンだからでしょうかね(笑)

 別段深い意味は無いんですが・・・・
 今日は745を貼ってみます。
 別に、これと同じナンバーの車に乗る某氏へのあてつけでは有りませんので、念のため(笑)

投稿者 風来坊 : 23:55 | コメント (2) | トラックバック

2007年04月15日

たぶん・・・・

21015.jpg

 私のBlogからリンクさせてもらっているJZX81さんのBlog『二線譜の調』を拝見していたら、この場所で昔撮ったような気がするなぁ・・・・・と気が付いた一枚がありました。
 4月14日付けのエントリーSカーブを抜けての一枚なんですが、ED77重連時代に構えた場所がまさにビンゴかもしれません。
 郡山から広田行きのセメントと若松行きのコンテナを持ってやってきた貨物列車。
 記憶が正しければお昼頃に若松へ到着だったような気がします。
 なんだかんだで随分通った磐越西線電化側ですが、ED77が引退しED75に変更された後はぱったりと足が向かなくなりました。

 本当は通って撮るべきだったんですがねぇ・・・・・
 たまには昔語りの一枚を入れてみます。

投稿者 風来坊 : 23:09 | コメント (2) | トラックバック

2007年01月22日

邂逅の場所

19-01-22-01.jpg

 ここへ最後に来たのは・・・・
 そう
 まだ、津軽が485系で走っていた頃だ

 ここは
 邂逅の場所

 今に繋がる
 記憶の記録の交叉点

 それは
 自分の中の
 基準点

 かつて辿った
 自らの歴史と
 めぐり合う場所なのかもしれない

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 実に10年ぶりくらいにここへ来ました
 記憶だけを頼りに車を止める場所を探しています
 いやぁ
 変わってないなぁ(笑)

 変わったと言えば
 あけぼのを牽いて来る機関車がED75からEF81に変わったことでしょうか(笑)

 この10年で自分がどう変わったのか
 色々と考えさせられました
 本質は何も変わってない自分に幻滅・・・・ orz

投稿者 風来坊 : 21:22 | コメント (6) | トラックバック

2006年12月21日

50系の居た時代 … KRの発売終了に寄せて

bansai001b.jpg
 これを撮ったフィルムはPKRです。
 小雪のちらつく会津若松駅。
 これを撮った頃は、まだこのホームの奥で機回しが出来た時代でした。
 行き止まり型ホームで無かった時代の残照。
 郡山から走ってきた1221列車が若松でスイッチバックして227列車となり、
 一路新津へと駆け抜けていた時代ですね・・・・・

 このフィルム。
 幸い原版はまだ手元にあります。
 全く色崩れしていないままです。

 時間の経過と共に色あせて行くフジクロームを横目に、
 コダクロームはあの時、シャッターを切った瞬間の呼吸まで写しとめたかのような・・・・

 発作的にヨドバシでPKRを10本買ってきました。
 さて・・・・

 何を撮ろう?

投稿者 風来坊 : 23:01 | コメント (0) | トラックバック

2006年12月14日

今も昔も

bansai011b.jpg

 年年歳歳花相似
 歳歳年年人不同

 あまりにも有名な劉希夷の代悲白頭翁という漢詩の一節。

 どれ程年月が流れても花は同じように咲くのだが、
 人は年が流れていけば変わっていくものだ。

 すっかり頭の白くなった翁に代わって悲しむと言うお話ですよね。
 この漢詩、実は色々とドラマが多いそうで、私も以前調べものをしているときに偶々見つけたんですが、調べものをほっぽりだして一心不乱に読みふけった事があります。

 で、なんでこれを出してくるかと言うとですね。
 この写真の場所は今でも同じように撮影が出来る訳です。
 でも、この列車はもう永久に撮れません。

 ですから、定期列車をしっかり撮る合間に、ほんの息抜きでイベントを撮ってお祭りを楽しむなら、それは実に楽しいものでしょうけど、そうじゃなくて目を三角にして三桁速度で暴走するとか、閉まりかけた踏切を突破するとか、黄色のセンターラインで見通しの悪い場所なのに強引な追越するとか、そういったイベントのお祭りを履き違えると、大事なものを見過ごすんじゃないですか?って私は思うわけです。

 一笑に付してイベントへ出かけていく人は多いだろうし、こんな場末のBlogで毒を吐いたところで、気にもしないし鼻で笑って終わりの人のほうが多いのは良く分かっているんですけど・・・・
 でも、ここは私の遊び場、自己表現の場。
 もっと言えば、誰憚る事無く言いたい事を言える場ですから、あえて最近の鉄道趣味界に喧嘩を売るような事を書いてみます(笑)

 まず、追っかけをやめて線路端で5分考える癖を付けよう!
 そうすれば今より良い写真が撮れるかもしれない。

 今でも列車の通る鉄橋の上、今はもう撮れない定期列車のありきたりの車両。
 今は見られる車両も来年は見られないかもしれません。
 そして、突然、巨大台風や竜巻がやってきて、この鉄橋が流されてしまうかもしれません。

 年年歳歳花相似 歳歳年年人不同

投稿者 風来坊 : 20:34 | コメント (7) | トラックバック

2006年12月13日

ブローオフ

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 記憶が正しければ、会津若松まで224列車として来た列車が留置線に転線してSGの余剰蒸気をブローオフしたシーンです。
 SLが無くなってもスティームのお世話になっていたんですね、鉄道車両は。

 降りしきる雪の中、午後になって若松を出る235列車になる筈の列車だったと思います。
 懐かしいなぁ・・・・

 あの頃の会津は本当に楽しかった・・・・

投稿者 風来坊 : 18:28 | コメント (2) | トラックバック

2006年12月12日

撮り方・・・・

bansai006b.jpg
bansai009b.jpg 今と昔と撮り方を比べるとき、一番変わったなぁと自分で思うのは列車以外を入れるようになったことです。
 逆に言えば風景重視になったとでも言えるのですかね。
 只見線とか北海道とかでばりばり撮るようになった一番の理由でしょう。

 ロケの良いところへ行きたい。
 生活の臭いがする画を撮りたい。
 人の営みが見える画にしたい。

 おそらく、鉄ちゃんの撮る写真の対局にある物なんでしょう。

 いつぞや、西留辺蘂の大カーブを見下ろす丘で撮っていたときのこと。
 線路際で野良仕事をする親父さんがいました。
 それを見た丘の上の鉄ちゃん数人がブツブツと文句を言っていました。
 曰く
 「じゃまだなぁ」
 と。


 あれを聞いて以来、どこへ出るにもとにかく鉄ちゃんに見られるのが一番恥だと思うようになりましたね。
 ここまで頭の中が良い具合にヨーグルトになってるアホって、ほかの撮影業界でもあまり見ない気がします・・・・

 なんか、いやですよね
 ああいうのって

投稿者 風来坊 : 18:22 | コメント (5) | トラックバック

2006年12月11日

失われた撮影地かも

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bansai004b.jpg ここは失われた撮影地かも知れません。
 たしか荻野-尾登だと思うんですが、近年、貨物を撮るようになって何度も行ってるのに、
 この場所へたどり着けないどころか、迷子になることが多いです。

 どこで撮ったかなぁ…
 そんな感じでウロウロします。

 左側はあまりに有名な場所ですが、これを撮った時代は貸し切りが当たり前でした。
 DD53の時には沿線あちこちで沿線住民と相当もめたらしいですからねぇ
 しばらく近づくのはやめておこうかと・・・・・

 まぁ、実際はどうでもいい話なんですけどね
 イベントって言うと目を血走らせて撮りに行かれる方が多いですがねぇ

 1万人の人出って所に行ってグチグチと啀み合いながら撮影して楽しいんですかねぇ
 そんで、沿線あちこちで木の枝は折るはゴミは捨ててくるわ・・・・・・

 理解できません

投稿者 風来坊 : 18:16 | コメント (0) | トラックバック

2006年12月10日

50系の居た時代

bansai002b.jpg

 年末進行で忙しく、ちょっと手抜きネタで失礼します(笑)
 磐越西線に50系のいた時代。
 今にして思えばいい時代でした。
 旧型客車全盛時代を知らない世代なものですから、
 この50系を求めてあちこち旅したものです。

 ある意味、非常に問題発言なんですけどね…
 実はDD51を撮るようになった最大の要因は50系客車なんですよ。
 50系を追い求めてるウチに、磐越西線とか男鹿線とか筑豊本線とか、
 そういったDD51のステージへ足げく通っていました。

 だから、ぶっちゃけ最初はDD51はどうでも良かったわけで…
 ねらってDD51を撮るようになったのは2001年位からだと思います(笑)

 最初はまず、問題発言から~

投稿者 風来坊 : 18:11 | コメント (0) | トラックバック

2006年12月07日

谷汲線 その2

tani07b.jpg
tani03b.jpg 谷汲線シリーズの2回目です、これで終わり(笑)

 もし、今の機材と感性であの時代へ行けたなら・・・・・
 誰だって一度や二度は考えた事のあるものだと思います
 私だってそうです。

 睡眠不足でボーっとする頭を抱え、なにをどう撮っていいものかも分らず、
 ただ何となくRMに掲載されていた写真の再生産をしただけでした。

 左のアングルはスナップの名手として当時から今でも最前線で走っている佐野氏のコピーです。
 S字カーブでアングルを作るのはこの辺の写真が影響大きいんだろうなぁとか自分で思いますね。

 今もそうですけど、この時も天気はドン曇でして、なんか全然やる気なく撮っていた気がします。
 じつは、そもそもこの路線へ撮りに行く動機になった一番の物は・・・・・
 下に貼ったこれなんですよ、ほんとに、ただこれだけのためでした。

tani01b.jpg

 良く見ると2連なんです、分りますか?
 RMに運用表が掲載されてまして、それを見て2連を撮りたい!と言う理由だけで行きました。
 今も昔も変わりなく、思いつきと勢いで行動するイノシシ系の頭はどうにかならないものかなぁ・・・・

 進歩のない自分に腹が立つやら、情けないやら・・・・ orz

投稿者 風来坊 : 00:39 | コメント (6) | トラックバック

2006年12月06日

谷汲線

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tani06b.jpg 古いCD-Rを再バックアップする作業に勤しんでいたら・・・・
 凄いもの発見しました(笑)
 5年ほど前にHDDを飛ばしたとき、暗黒の彼方へと消え去った筈の画像たちです。
 何でこれが貴重かと言うとですね、5年ほど前に引越しした際
 貴重な原版を全部失ってしまったんですね・・・・・・

 いやぁ・・・・
 それに気が付いた時は本気で立ち直れなくなりました。
 でも、時間を見てしょぼいスキャナでコツコツとスキャンした画像が残ってましたので、こうやって恥を忍んで公開できると言うものです(笑)
 ダメダメ画像でも時間に磨かれて多少は価値があるように見えるでしょ?(汗)

 谷汲線に限らず、名鉄の600Vローカル線群に共通するのは、独特のヘボン書体で書かれたナンバーでしょうね。
 ワンマン表記のサボが刺された車体も美しい名鉄レッドです。
 良く掃除された駅や車内の風情も懐かしいです。
 
tani08b.jpg 何時頃の撮影なのか全然思い出せないのですが、撮影の際に資料としたのはRMの今なお現役特集ですから、単純に考えて90年代初頭だと思います。
 友人の車に皆で乗って東名を夜走りし、大垣かどこかで下りて撮影に行きました。
 日帰りで(笑)

 たしかぁ・・・・・
 名鉄谷汲線を撮り、タッチアンドゴーで樽見鉄道を撮り。
 それから南に下って近鉄のどこかで撮影し、夕暮れ迫る東名を爆走して帰ってきたはず。

 若かったなぁ・・・・
 ふとそんな事を思いました。

 そう言えば、この車両ってまだ谷汲駅に展示中でしたっけ?
 ちょっと言ってみたいなぁ(笑)

投稿者 風来坊 : 23:59 | コメント (0) | トラックバック

2006年06月02日

新カテゴリー:昔語り第1話:金田の専用線

 さらにもう一つの新カテゴリーです、題して昔語り、このカテゴリーは主に失われた光景について触れたいと思います。
 一口に失われたと言っても色々あります、車両が置き換えられたとか新線に切り替わったとかですね、しかし、この昔語りは根本的に路線が失われたケースに付いてのみ取り上げる事にします。
 つまり、たとえば小海線のキハ52時代などを今後取り上げる予定ですが、それらは小海線の括りで貼っていきます、つまり小海線の歴史と捉えるので失われた光景ではないと考えるからです、勿論車両は失われてますが、路線自体の魅力は聊かも衰えておらず、私のBlogでは車両は鉄道風景の中では脇役では無いけど主役でもないと考えていると思って差し支えないと思います、勿論、我がライフワークと捉えるDD51だけは別ですけどね(笑)

H18-06-02-01.jpg で、ずいぶん前置きが長くなりましたが、記念すべき昔語りの第1話は平成筑豊鉄道の金田から分かれて山を目指していた三井のセメント鉄道です。
 ご覧の通り、誰が見ても立派なDE10の形をしている入れ替え動車DE10型(笑)を持っていました。
 セメント車を延々と繋いで山からゴロゴロと降ろして来たのですけど、遠賀川に注ぐ支流を越える橋の所には10パーミルの坂があって、これがまた良く滑る訳ですよ。
 砂を撒き撒きギャギャギャギャと賑やかな音を立ててエンジン全開で登ってきました(笑)
 すぐ横を通り過ぎていく時に運転士さんと目が合ったんですけど…

   『 物 好 き だ ね ぇ … 』

 みたいな目で見られたら恥ずかしいですよね、普通は(汗)
 スノープロウの無い足元スカスカに見える機関車の活躍を始めてみたような気がした瞬間でした

H18-06-02-02.jpg そして今度は空のタンク車を受け取って山へ帰るシーンです。
 その筋には有名なアングルだったんですが、廃止直前になってRMに記事が掲載され、その後ここでは撮影が難しくなったと聞きました。
 詳細は不明ですが軌道の周囲はびっしりと私有地でして、ゴミやら大声で喚くやら…のよくある話で苦情がずいぶんあったんだとか。

 筑豊と言うエリアは不思議なところでして、とにかく何でも組織組織組織…と労働組合の強かった『やま』の文化が色濃く残っている雰囲気で(笑)、古い電柱には古いビラが貼ってあり、いまどき珍しい”団結せよ”とか…書いてあるものは無かったですけど、声高に権利を主張していたビラは幾つか目にしました。
 金田駅前の寂れた商店街を見るに付け、北海道と同じく黒ダイヤに沸いた次代の栄華、その残滓がチラホラと見え隠れしていましたね・・・・・

 これを撮って以来、九州には全く足を踏み入れていません。
 今度は南九州を撮りに行きたいなぁ…と思っているのですがねぇ
 濃ゆ~い場所を幾つか知っているので行って置きたい所なんですが…

投稿者 風来坊 : 22:37 | コメント (2) | トラックバック