2008年07月04日
あぁ上野駅
日中、仕事中に話をした人は秋田県の湯沢エリア出身でした。
集団就職で関東へやってきて幾星霜。
すっかり方言も消えてしまっていたんですがね・・・・
偶然同じ地域の方が2名様いらっしゃいまして、そこで地元トークしたら15秒後に秋田弁モードに。
もはや通訳無しでは会話の内容すら窺い知る事は出来ませんでした。
で、その時の会話に出てきたのが今日の一枚です。
あぁ、上野駅。
この駅は東北なんですよね。あちら側出身の方々にすれば。
理屈じゃなく、ここはみちのくなんですって言い切られてしまいました(笑)
集団就職ではじめて降り立った上野駅。
あれからもう何年経ったか分からないけど、帰省で上野のホームに立つたびに、あちこちから聞こえる田舎の言葉が耳に入って訳も無く泣けたもんだとシミジミ語ってられました。

平成19年9月撮影
背景は会津若松行きのあいづです
投稿者 風来坊 : 22:30 | コメント (1) | トラックバック
2008年04月30日
もっと遠くへ
そんな訳で、なんとか休みを確保したので出掛けてきます。
もっと遠くへ。もっと遠くへ。でも、そんなに遠くないかも。
ちょっとの間ですがブログの更新をお休みします。
ではぁ~
投稿者 風来坊 : 22:00 | コメント (0) | トラックバック
2008年03月15日
夜行列車
昨夜はエントリを起せませんでした。
毎晩楽しみにしていただいている皆様、大変失礼しました。
なぜか5時半起床で仕事を始めたんですが、23時半になっても仕事が終りませんでした(ToT)
DMLの方は事前に仕込んでおいたので帰宅後に更新できたのですが、カンテラは放置・・・・
ダメダメです。
で、なぜか仕事に追い掛け回されている時、たくさんの鉄な友人から携帯にメールが・・・・
銀河を見送るべく東京や品川へ出撃していたそうです。
あぁ、そう言えば今夜が最終なんだっけ・・・・
気がついたときには既に遅し。
今朝は早起きして平塚にでも銀河の迎撃にと思っていたのですが、起きられませんでした( ̄▽ ̄)ナハハ
国内を走る夜行列車のうち、定期として確実に走る列車は何本残ってるんでしょうか。
東京~札幌は北斗星が一往復。
青森~札幌にはまなすが一往復。
東京~青森にあけぼのが一往復。
大阪~青森に日本海が一往復。
東京~金沢に北陸が一往復。
東京~九州に富士/はやぶさが一往復。
東京~山陰にサンライズ出雲が。
東京~高松にサンライズ瀬戸が。
非定期ながらもカシオペアとトワイライトEXPがそれぞれ一往復。
まだ北国とか走ってましたっけ?彗星はどうだったかなぁ。
かつてはどこでも見られたような気がする光景なんですが・・・・・

いつの間にか過去帖入りしてしまった光景ですよね。
なんだかなぁ・・・・
今更になって・・・・・
夜行列車の存在意義が云々なんて言うほど子供じゃないと自分では思っています。
でも、なんと言いますか・・・・
憧憬的な部分で一抹の寂しさを感じないわけではありません。
かつて幹線系統の路線とも成ると、夕暮れ時には周囲の雰囲気を一変させて一際華やぐ雰囲気の列車が入ってきていたと思います。
群青の車体へ目にも眩しい白帯を巻いた、夜の闇に解けて行く夜行列車たち。
見送る客も乗り込む客も、共に笑顔だった筈。
車中の寝台へ横になり、夜中にふと目を覚ましてカーテンを開ければ、見知らぬ駅のホームが視界に飛び込んできたりしたものです。
ここはどこの駅だろう?
寝ぼけ眼で時刻表と時計を眺め、適等に辺りをつけてみたりして(笑)
あのワクワク感は他に表現しようがありませんね。

もう何度乗ったかわからないのですが、それでもそれでも。
やはり列車に揺られる旅は面白いです。
かつて窓際に並べた空き缶はジュースでした。
今は麦で作った泡が出るジュースになってます。
漆黒の闇を滑る様に走っていく列車。
単調なジョイント音に眠気を覚えるのもまた楽しいものです。

雪が解けて北国に暖かな春が来る頃。
もう一度北へと旅立つ夜行列車に乗ってみよう。
そんな風に思っています。
まだ走っているうちに、もっともっと楽しみたいから。
夜行列車が運ぶ物は憧憬と浪漫なんですよね。
投稿者 風来坊 : 23:21 | コメント (0) | トラックバック
2007年12月27日
自然界の・・・・
カマキリの卵が低いところにあったら雪は少ない。
そんな話がよく出てくる昨今ですが・・・・・
只見線の軌道の間に残っていた野ばら(?)にカマキリの卵を見つけました。
軌道間ですから、この高さですとラッセルのフランジャで確実に逝きます。
たまたま、偶然の産物として卵を産みつけた樹がこれだったのか。
カマキリがこの高さで十分と判断し、狙ってこの高さにしたのか。
どっちなんでしょうね?
ふとそんな事を思って一枚。
VRでも、ブレる時はブレます。 orz
投稿者 風来坊 : 23:29 | コメント (0) | トラックバック
2007年11月28日
40万HIT御礼 … 晩秋の会津
晩秋の会津へ。
先週までの雪もすっかり解けて、今は枯野の会津だそうですが・・・・
この時期は気に残った葉っぱの色付きを確かめながら、枯れ木の賑わいを山に見る撮影です。
すっかり坊主になった落葉樹の枝越しに山並みの地肌を見ながら、薄れ行く禿頭の如く雪に備える自然の知恵を見ると言うのも良い物ですね。
温泉の温もりを探して、美味い酒をのんで、そして、新そばと新米を心行くまで・・・・
あぁ、また太りに行く様なものです(笑)
気が付いたらサイトの訪問カウンターが40万HITしていました。
30万到達が今年の5月ですので、半年で10万もカウンターが回った事になります。
我ながらちょっとビックリです。
皆様の御愛顧に感謝しまして、先日よりこっそり表紙だけ公開しておりましたDL専門Blogをスタートさせます。
また、大画像のみを扱うアルバム形式になった写真展示室を二つ準備しました。
一つは『追憶の銀河線』、もう一つは・・・・ こっちはまだ秘密にしておきましょうか(笑)
いずれも、いつかは世に出そうと思っていた写真ばかりを掲載するつもりです。
どちらも準備は完了してるのですが、主に管理者たる私のマンパワー不足でまだちょっと始められません。
こっそりスタートしますので、お楽しみに♪
しかしなぁ・・・・
今から10年前のネット環境、凄かったんですよぉ~
ブロードバンドなんて高嶺の花だった時代ですから。
9600bpsのモデムでNiftyserveに繋いで、ちまちまとチャットをやっていた時代が本気で懐かしい・・・・
投稿者 風来坊 : 23:11 | コメント (4) | トラックバック
2007年11月07日
鉄道写真の可能性
このエントリーはいつも読みに行っている鉄たまさんのBlogへトラバしています。
あまりにも重く深いテーマで起されたエントリだったものですから、朝っぱらにも関わらずコメント書きした訳ですが・・・・。
このエントリは本来あちらにコメントとして書くはずだったものです、それゆえ、鉄たまさんのエントリを読まないと意味がまったく通じないかと思います。しかしながら承前を前提に書きますので、どうかそのつもりでお読み頂けると幸いです。
で、氏の経験された件ですが、実は私の場合は全く逆の経験がありまして、いわゆるシチサンで画面の90%を列車が占めるような写真を量産していた時代、道楽で写真を撮っていた親戚にアルバムを見せた事が有るんですけどね、もうけんもほろろに痛烈批判されまして(笑)
東北に行っても九州に行っても、背景とか土地の景色とかを入れないと国鉄の電車はどれも同じ色でつまらないじゃないか、と。
挙句に『年端の行かない子供が眺めてる「でんしゃのえほん」と変わらないね』と突き放されました。
その時は本気で怒ったわけですが、あとから段々と世の中が見えて来る年になってくると、その一言が深い意味を持つんだって気が付きまして(笑)
いわゆる『物の見方』って事にも大人と子供の見方・視点の違いって物があるんですよね、つまり。
だから、出かけた先でその土地土地に根付いた車両なりカラーリングなりをその路線の特徴と一緒に写しこむ事は、すなわちその時代とか空気とか地域の事情も一緒に写しこむ事なんじゃないかと気が付いたわけです。
多くの鉄が毛嫌いする人の入り込んだ写真だって、逆に言うと10年20年経ったらその時代のファッションが残っている訳で、そう気が付いたら車とか看板とか平気で入れるようになりました(笑)
いわゆる『バリ鉄』と呼ばれる知人は私にも居ます。
そんな人から同じように車両を云々といわれる事も有ります。
だから、そんな時はいつもこう答えてます。
「鉄道じゃなくて日本を撮ってるから良いんです、だって日本好きですから」って。
自分の口からでたその一言で、自分を縛っていた鎖がフッと消え去ったのを、昨日の事のように思い出します。
今でも撮影活動の根幹に位置付けているDD51の撮影は自らにライフワークと公言して憚りませんが、この写真を普段撮っているローカル線撮影の知人に見せるとまるで別人だと良く言われます。
ローカル線撮影の肝は、周囲の景色景観に溶け込む車両をまるで空気のように映しこむ事と考えているわけです。でも、DD51の場合だけは『ナンバーが読めないと意味は無い』とか『出来る限り編成はケツまで映しこむ』とか、なんかその手の不思議な人たちと同じ撮り方をいまだにしています。
良い悪いではなく、今を生きる現役機関車としてのDD51の、そのリアルに生きている姿を求めると、なんかそんな形の撮影が多くなってしまうんだろうなと自己分析しています。
しかし、ローカルを撮る上で言える事は『遊び』そのものなんです。
もっと自由に、もっと独創的に。
そんな風に撮影の幅を広げられたローカル線の撮影と言う行為は、今では自分の中でDD51撮影と対を成す存在として位置するようになりました。
鉄道写真の可能性を広げる存在としての自由さ。
ここ10年くらい、事あるごとに言っている言葉だと思うんですが、例えばの話し、様々な被写体を趣味撮影するカメラマンが集まったとして、例えば飛行機とかレースカーとかオートバイとか、それだけじゃなくて風景とか星とか街頭のスナップだとか、そういったまったく畑違いの被写体を撮る人たちと写真の異種格闘技をしたとしたら・・・・
あなたの写真はまったく畑違いの写真を撮る人たちに
『おぉぉぉ・・・・』
と言わせられるものがありますか?
そんな話しをしていると思います。
私の知る鉄道趣味の友人の間でそれをできる人を少なくとも6人知っています。
いわゆる鉄チャン相手に驚かれるとか感嘆される人は10倍以上知っていますが、それこそそこらを歩いているごく普通の人相手に自信を持って写真を見せられる人って、逆に言うとそれくらいなんだと思います。
自己表現としての鉄道写真。
可能性としての鉄道写真。
自由なイメージと純粋に写真としての美しさを追求する行為自体に価値を見出したい。
それが私の考える鉄道写真の可能性です。
投稿者 風来坊 : 17:35 | コメント (7) | トラックバック
2007年10月17日
開設予告
そう遠くない時期の話です。
以前より構想を暖めてきた別のBlogを開設する事になりました。
それと同時に、サイトの大系を大きく整理し、あわせて幾つかのコンテンツを整理します。
今年の年末までに、風来坊の鉄道讃歌は大きく変わるはずです。
サイト開設から10年の区切りを向かえ、今本当に自分がやりたい事を誰憚る事無くやり抜く環境。
それが手の届くところまで来ました。
さぁ
次のステージへ....
もう少しだけお待ち下さい。
風来坊拝
投稿者 風来坊 : 23:28 | コメント (0) | トラックバック
2007年08月19日
結局は

色々迷った末、この列車で旅立つ事に決めました。
行き先は何となく迷ってますが・・・・とりあえず五能線にでも行こうかと企んでいます(笑)
レンタカーして撮影も良いんですが、たまには純粋に乗り旅も良いなぁと言う奴でして……。
津軽海峡を渡ろうかどうしようか、土壇場まで悩んで結局やめました。
さて、この旅はどんな光景にめぐり合えるんでしょうか!
時刻表片手にプランニングしています( ̄▽ ̄)ナハハ
投稿者 風来坊 : 20:12 | コメント (2) | トラックバック
2007年08月15日
酷く暑い日 … 終戦記念日に寄せて
まだ祖父が存命だった頃……
終戦記念日になると仏壇へ手を合わせ、何か難しくてめんどくさいお経を上げていた。
祖父は旧「帝国」海軍の職業軍人だったが、一方で寺の坊主でもあった。
『おじいちゃんは生き残っちゃったから……』
その後の言葉を聞いた覚えが無い。
そして、聞きたいと思った事も無い。
でも、自らが語る事は無かったし、語ろうともしなかった。
きっと、腹の底に収めて墓の中まで持っていった話が沢山あるんだろう。
世界に冠たる7大戦艦の1隻に勤務し、善行章を何本も付けた祖父はきっとそれが誇らしかった筈だ。
でも、その生活は開戦より約2年の昭和18年6月8日、唐突な幕切れをもって終わりを告げた。
それからの足取りを祖父は詳しくは話してくれなかった。
船乗りである祖父が陸上勤務になったのは納得いかなかった部分も大きいのだろう。
そして、終戦は千島列島のある島で向かえたそうだ。
その日。
遠くカムチャッカ半島から連なる火山帯に乗った島で終戦を迎えた祖父は、どういう訳か内地へ帰る最初の船に乗ったそうだ。
その翌日、あのクサレキチガイの露助どもが軍事侵攻を始め、祖父の居た島は激烈な抵抗戦闘の末、島の住人と守備隊全員がシベリア送りにされると言う悲劇を生んだ。
祖父の昔話には九死に一生を得た話が多数登場する。
戦時中は祖父の抜けた勤務地が4度も酷い目にあった事になっている。
だから、祖父は多くを語らなかったのかもしれない。
一度だけ聞いた言葉。
『一緒に死んでやれなかった……』
実際は大正元年生まれだが、本人はあくまで明治45年生まれだと言い張った祖父の、その決して僅かではない後ろめたい引け目感。
何度も死線をくぐった戦友が、自らの抜けた後で酷い思いをしているのだとすれば、義理固く責任感に溢れる明治の男にあこがれた祖父にとって、それは自らの死の時まで心の片隅に有ったのではないだろうかと今更ながらに思う。
『終戦記念日は一年で一番暑くなる日だ。でも、今日だけは我慢しろ。今日は特別な日なんだ』
祖父はそんな事をよく言っていた気がする。
戦後の発展を眺めながら、その中で無責任な戦争当事者誹謗論にも無言で堪えてきた祖父の、そのボソリとこぼす一言に、祖父はどれ程の意味を持たせていたのだろうか。
昨年8月。炎暑の縦貫線を撮っていた時、ふと目に付いた温度計は36℃をさしていた。
『軍艦の主缶室は40℃を越える事も良くあった、でもな、釜焚きは文句を言わないんだよ、釜焚きは釜を焚くのが仕事だったからな。文句を言うのは仕事じゃないのさ』
敢て地下百尺の捨石と成らん……
そう言っていた明治の男は、言い訳する事を極端に嫌っていた。
酷く暑かった終戦記念日。
今日この日も日本のどこかで、敢て何も言わずただ敗戦の責に耐える旧軍の職業軍人が居るんだろう。
高く蒼くある空に白い雲が浮かび、強い日差しが降り注ぐ日。
この空をもう一度見たいと願いつつ、遠く異郷の地に果てた多くの霊が盆供養の祖国へ帰りつけるよう願っています。
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投稿者 風来坊 : 23:20 | コメント (2) | トラックバック
2007年07月16日
地震 再び
新潟で再び震度6強の揺れがあったようだ。
午前10時13分。私はまだ川崎北部市場の中にいた。
店に戻り情報の収集を開始。
前回の新潟震災では上越線が長期不通となり磐越西線に迂回貨物が運転された。
正直に言えば、甚だ不謹慎と知りつつ、迂回列車の可能性を探っていたのだと思う。
その途中でこの画像に出会った。

海の近い駅は数あれど、鶴見線の海芝浦、室蘭線の北舟岡と並び海に手を触れられる駅の一つ、青海川駅。
息を呑み、そして、しばし呆然とした。
地球規模の力が見せる途轍もないエネルギー。
その前には人類の力による法面工事など無意味だったようだ。
早期復旧を祈るしか出来ない自分の無力さをかみ締める。
迂回運転の有無とか代替輸送とか、そう言う趣味的な視点もあるにはありますけど・・・・
今宵はまず犠牲者の冥福を祈ると共に、罹災された皆様へ心からのお見舞いを申し上げます。
富める国の底力を結集・・・・
などと言うレベルでも無く、近隣から機械力を動員し、早期復旧へ向けて頑張って欲しいですね。
都市も人々の生活も。そして、鉄路も。
投稿者 風来坊 : 23:00 | コメント (5) | トラックバック
2007年07月13日
空耳を聞いた気がする・・・・
タイトルでニヤリとしたあなたは古くからのミモリストですね?(笑)
いや、本当は・・・・
『夢を見た』と言うタイトルのつもりでした。
それがどんな内容かを書いてしまうと、夢を見た意味が無いですからね。
書く事は簡単でも、あえて書かないと言う選択肢もあるわけです。
そして、それの核心を迂回する形で、色々な比喩や抽象的表現を持って言いたい事を表現する。
文章による自己表現の楽しさと難しさとでも言う感じです。
何を書いてるか意味がわからない!って方は多分正常です。
分かるほうがおかしいおかしいです。
でも、書いてる本人は凄くプリミティブな事を言いたい訳でして・・・・
えぇとですね・・・・
要するに
『いい加減にしてくれよ・・・・ しまいにゃぶち切れるぞ』
って感じかな・・・・
もういっぺん書きますけど、意味がわからない方は正常です。
はい。
ちなみに、今宵の画像は大画像にしてみないと意味がわからないかも(笑)
鉄道写真の可能性を潰している張本人は、実は撮影派鉄道趣味人そのものかもしれない・・・・
投稿者 風来坊 : 22:28 | コメント (0) | トラックバック
2007年05月08日
300000HIT御礼申し上げます!
カンテラ700個目のエントリーです。
おかげさまで風来坊の鉄道讃歌は30万HITを記録しました。
今日はちょっとだけ良い酒を買ってきましたので、一人で祝い酒です。
風来坊の道楽部屋を開設したのが97年10月ですから、足掛け10年と言うところでしょうか。
細々とやってきて、振り返れば随分と経った気がします。
一日10HITだった時代から見てくださる方もチラホラいらっしゃいます。
最近になってお越しいただけるようになった方もいらっしゃいます。
途中、情熱を失ってしばらく中断していた時期もありました。
何もかも面倒になって放置していた時期もありました。
後から始めた人のサイトに追い越されて不貞腐れた時期もありました。
でも、気が付けば・・・・
たくさんの方に見ていただけるサイトとBlogになった様に思います。
昔語りと言うわけでは有りませんが・・・・
Win2000登場前夜、20世紀の最後の頃。
ネット上のDDサイトと言えば、R28さんの所『REDLOCOWeb』か、北モセさんの『DD51BBS』が双璧でした。
私のサイトにベタベタとDD51を貼ったらR28さんに驚かれましたねぇ・・・・、懐かしい。
ふと気が付けばDDを取り扱うサイトが随分増えました。正直、見切れない状況が続いています。
嬉しい悲鳴ですね(笑)
負けないように頑張ろう!なんていう気分も随分抜けました。
ボチボチとマイペースでこれからもやっていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。
投稿者 風来坊 : 19:50 | コメント (3) | トラックバック
2007年04月25日
毎日来て下さる皆様へ

ちょっと出掛けてきます。
2~3日、更新が途絶えます。
すいませんが次のエントリーは28日の予定です。(たぶん)
投稿者 風来坊 : 20:07 | コメント (2) | トラックバック
2007年03月07日
別館のご案内
えぇ、実はですね、以前より構想を暖めていました風景写真専門Blogを、本日より公開する事に致しました。
本当ならば今年の元旦よりスタートの筈だったのですが、色々と思うところがあり、予定を先送りにしてきました。
でも、やはり、撮影した瞬間の思いや思考を出来る限り新鮮なうちに公開したい!って思いが強くてですね……
要するに見切り発車を致します(笑)
風来坊のランドスケープ
お暇なときにでもご覧になってください♪
あわせて幾つかBlogリンクを追加しています。
投稿者 風来坊 : 20:39 | コメント (0) | トラックバック
2007年01月15日
新世代の鼓動

新年会からの帰り道。
会津若松駅で列車を待っていたら、新世代の気動車が姿を現してビックリでした。
新潟トランシス製E130型ディーゼルカー。
JR東日本の新世代気動車キハ110から既に10年の歳月が流れていますが・・・・
その間の技術的な隙間を生める新生代ですね。
環境負荷の少ない高性能エンジンと、3扉ロングシートの近代的なデザイン。
ようやくと言って良いのでしょうね。
郡山行きの普通列車に乗る直前の僅かな時間を使ってちょこっと撮影しています。
新製車の証たる一枚を撮って撤収。
この気動車が東日本のローカル線に順次投入されていくのでしょうね。
扱いやすく快適な新型車がローカル線再生の助力となるかどうか、
じっくりと観察したいものです。
投稿者 風来坊 : 01:26 | コメント (4) | トラックバック
2006年08月04日
再開
えぇ、そんな訳でだいぶ落ち着きました、上手いこと廻りそうですし(笑)
実は休止中にぎっくり腰しまして、立てないわ屈めないわで往生しています。
整体に行って体中アチコチバキボキと調整して貰ったんですが、言われる事は「痩せろデブ」だの「重すぎだブタ」だの、そんな素晴らしい賛辞の数々でございまして…
えぇ、もう何て言いますか…

現実逃避しに行ってきます
投稿者 風来坊 : 23:58 | コメント (2) | トラックバック
2006年07月25日
休止
えぇ、またまたポストが途切れてますが…
実はですね、私の稼業は花屋な訳ですけど、その花屋仲間の親父さんが急死しまして…
で、まぁ、色々ありましてちょっと奔走しております
自分の店がどうと言う事ではないのですが、余りにも大きくお世話になった方でして…
まぁ、そのですね、要するに代替わりするお店の運営支援と言うことで色々と手伝っています
なかなか表に出ることではありませんが、契約事の常でしてキチンと手続きを踏まないと後で色々ありまして(汗)
そんな訳でしばらく休止いたします、2週間程度を目安に頑張りますので…
スイマセンが、宜しくお願いいたします
投稿者 風来坊 : 19:21 | コメント (0) | トラックバック
2006年06月13日
Galleryを追加しました

えぇ、長らく放置でしたギャラリーですが、久しぶりに完全新作です
銀河線最終日の光景を追加しました、『追憶の銀河線』シリーズを順次公開していきます
まずは最終日の章:前編と後編です、延べ日数にして3週間足らずの沿線散歩でした、もっと違う撮り方が、もっと違う情景が、…とそんな後悔ばかりであります
しかし、私の撮った写真が銀河線に触れた人にも触れなかった人にも、すべからく何かを残せると期待して恥を忍んで後悔です(笑)
ご意見ご感想などお寄せ下さい、お待ちしております
投稿者 風来坊 : 18:06 | コメント (2) | トラックバック
2006年05月31日
予告編2:そしてもう一つ

さらに予告です
ローカル線郡に続き、もう一つのキラーコンテンツを追加します
ローカル私鉄巡礼と言うカテゴリーを用意してあるのですが、そこに追加する形になります
もう勘の良い方はお気づきでしょう、そう、貨物専業ローカル私鉄がまだまだわが国にはあるのです
そして…、貨物ローカルとは何か、これも重要です
本線から別れ山を越えていく鉄道がありますね
山から海を目指す鉄道もありますね
細々と生きている車扱い専業もいます
で、何か忘れていませんか?って奴です
そう、海と生きる鉄道もありますよね(笑)
ギャラリーに大きな括りとしてのセレクションを作るまでも無いのだけど、かといってこのままお蔵入りするには惜しい所がいくつもあります、そして、実は結構な量で撮っているんです
その辺も世に出そうと思っています
さて、期待に胸を膨らませるだけの予告になったでしょうか?
ご期待ください、次の扉を開くノブに私の手が掛かりましたよ…(^o^)
投稿者 風来坊 : 22:54 | コメント (4) | トラックバック
2006年05月30日
予告編:次の一歩の為に

えぇ、今日は予告編です
まずは本日の画像、過渡期の石巻線です、言うまでも無くコンテナ化完了直前の姿ですね
6月からのカンテラでは本格的に機関車ネタを取り扱います
今までは道楽部屋本体で機関車を、況やDD51を専門に取り扱い、カンテラではローカル線、特に只見線ネタの救済と公開を目的にしてきました
しかし、6月からはすべての垣根を乗り越えて、速報と報告に重きをおいた運営に切り替えます
そしてもう一つ、重要なネタとして、アーカイブセレクションと銘打ち、失われた姿の中で記録してあった物や、自分が良いなと思ったシーンなどを掲載することにします
ローカル線とか電化非電化とか、そんな形式ばった区分けではなく、もっと自由に・もっと幅広く鉄道と言うものの姿を記録していくともし火になろうと思います
そんな訳で、予告編でした
投稿者 風来坊 : 22:25 | コメント (9) | トラックバック
2006年04月22日
旅の終わり

銀河線が廃止になった翌日、空港へと向かう道すがらで同じような光景を何度も見た
地元の人が軌道跡を歩いていた、まだレールも枕木も残っている場所をだ
何を思っていたのだろう
ただ単純に空しいだの悔しいだのといったものではないと思う
そこにあるのは旅の終わりなんじゃないかと思った
そう思うに至って私も銀河線の旅を終わりにしようと思います
『第3セクターを旅する』そう銘打ったカテゴリのサブカテとしてふるさと銀河線を作りました
しかし、その最終エントリは昨日付けをもって終わりにします
長い長い旅路を歩んできた池北線がその使命を終えてたように
サブカテゴリとしてのふるさと銀河線も終わりにします
足掛け4年にわたった撮影行は、1枚でも撮った日を一日として勘定すると
実にのべ撮影日数38日に及びました
その間に得た成果をギャラリーで公開していくことにします
準備が終わるまで少しだけお待ちください
ただ今は
旅の終わりを実感して気持ちを整理している段階ですから・・・・・
1ヶ月強分のともしびを世界にばら撒きたいと思います
投稿者 風来坊 : 23:09 | コメント (2) | トラックバック
2006年01月16日
撮り初め

今年の撮り初めは、やはり赤い機関車でした
それもディーゼル機関を搭載した内燃機関車です
今年もこの赤い機関車たちに縁がありますように…
そんな願いを込めて
今年も一年よろしくお願いします
心からの願いを込めて…
投稿者 風来坊 : 22:57 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月06日
雪と戦う
昨日、一昨日と信越線の妙高高原界隈でDD53が壮絶な死闘を繰り広げたらしい、既に各方面の掲示板などで話題沸騰中なのだが…
これだけ巨大な機関車でも行き倒れになると言うのは本当に凄いと思う

これは横川に展示されている1号機だけど…
巨大なロータリー投雪用の羽が装着されたヘッド部分、DD14の3倍と言われる強力なものだ、サイズも相応に大きくなっている

壮絶な雪との死闘を続ける雪国の鉄路、まだまだ冬は長いのになぁ…
御同情とお見舞い申し上げます
投稿者 風来坊 : 23:38 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月31日
ヘッドライト/テールライト

語り継ぐ 人もなく
吹きすさぶ 風の中へ…
皇紀2665年が今日で終わる。
平成17年、今年は何かを成し遂げられただろうか?
ふとそんな事を思った。
このBlogも開設して1年になる。
内燃機関車に大きく偏っていた自分の中で少しずつ芽生えていたローカル線への取り組み。
それが少しずつ積み重なってある程度の量になったとき、この企画を思いついた。
もっと何かを発表したい、世に我の写真を問うてみたい。
誰かに自分の思う形にはならない『何か』を感じてほしい。
そう思ってきた。
それが美味く表現できたかどうかは自分でもわからない。
ただ、改めて思う。
ヘッドライト/テールライト
旅はまだ終わらない
クソ忙しい12月のど真ん中、酒呑童子師匠と二人して特急渡道し撮影した銀河線。
最終カットを本別の構内で撮影中にこのエントリーを思いついた。
今年の締めはこのカットにしよう。
そう思ってちょっと無理な移動もしたしアングルも作った。
出来上がったカットを見たときの手応え感とでも言うのだろうか。
よしよし…
と、そう思う一瞬の楽しみこそ、未だに自分を突き動かすエネルギーの源なんだと思う。
もっともっとこれを味わいたい、欲望は果てしない。
ヘッドライト/テールライト
旅はまだ終わらない
来年もカンテラは突っ走ります。
今年一年、こんな更新が不安定なクソBlogにお付き合いいただきありがとう御座いました。
来年も一年、ローカル線とそれを取り巻く人々に精進します。
まだまだ…よろしくお付き合いください。
皆様の御多幸をお祈りいたします。
皇紀2665年12月31日 午後10時50分過ぎ
風来坊 拝
投稿者 風来坊 : 22:31 | コメント (2) | トラックバック
2005年12月21日
高千穂鉄道の終焉 ~ 3セク最初の滅亡は高千穂鉄道だった…
ある意味で予想通りの結末でした。
毎日新聞ソースですが宮崎の三セク「高千穂鉄道」33年の歴史に幕だそうです、言わずもがな、今年の台風14号によって壊滅的打撃を受けた事が致命傷になりました。
今になって各方面から色々と意見や論点整理が出てきています、本来はまだ経営体力があるうちに行うべき事なのですがね…
高千穂鉄道の存続を願うBlogではかなり批判的な論調で論じつつ、愛も変わらず手段と目的を履き違えた論点で物を語っています。
しかし、逆の観点から醒め切った視点で批判的に論じるBlogもあり、いやはやわが国のBlogメディアも賑やかになったものだと実感しますね。
結構前から言われてきた事ですが、プロ市民対策費<路線廃止経費のウチは廃止にならないと言います、しかし、今回ばかりは今後10年で40億の経費が掛かるそうですから、路線を存知するに至るだけの説得力が無かったようですね。
地元の商工会が路線の存続要望を出したそうですけど、今になって5000人分の署名を集めたそうです、しかし、ただ署名を集めるだけでなくカンパを募って現金を添える位のやる気を見せてほしかったですね。
高千穂鉄道論議のスレッドが立っている2chの鉄道板で凄い発言を見つけました、曰く
ここでひとつの提案だが、鉄道を残す代わりに
・住民税(県民税・市町村税)を、今の2倍にする
・自動車取得税・重量税を3倍にする
・ガソリン税・軽油引取税を今の3倍にする
・外形標準課税(宮崎県鉄道税などと称して、鉄道利用者から一定の税を徴収する)を行う
このうち1つあるいは複数の税を設けて、で財源をつくり、鉄道を残す。
これがどれだけの県民に受け入れられるだろうか?
だそうです、いやはや厳しいですね。
地方ローカル線を公金で運営する事は典型的な地方福祉の一環と言い切れる風潮になってきました、なんだかなぁ…とは思いますが、現実でしょうね。
九州かぁ…
投稿者 風来坊 : 23:51 | コメント (0) | トラックバック
保存鉄道…
今まさに終焉を迎えようとしている銀河線、しかし、沿線ではそれこそ手段を問わぬかのような保存の計画が算段されているらしい。
今朝の道新朝刊に気になる記事があった、銀河線の保存鉄道化計画だそうだ。
地元陸別の商工会が中心になって受け皿を作り陸別~川上に保存運転をおこなう鉄道会社を立ち上げ厳冬期以外の週末を中心に運転する作戦らしい。
車庫はどーすんだ?とか車両の整備は?とか色々と疑問符は付いて回るが、まずは事態の推移を見守りたい。
そして、もう一つ噂になっている広域合併後の北見市が北見~置戸間を市の交通局で管理する市営鉄道の話、おそらくは鉄道趣味人の願望が一人歩きした結果だとは思うけど、銀河線の現状では最も利用客の多い区間ゆえに可能性はゼロでは無いと思う。
こういう時にこそ鉄道趣味団体が受け皿となって募金や寄付を募り支援をしていくべきだと思うのだが、嘆かわしい事にわが国では自分が遊ぶほうを優先される風潮が強い、鉄道友の会などでその手の機関を作れないのだろうかねぇ…、まぁ出来たら出来たで10年後には交渉窓口になる国交省の天下り先になってるかもしれないけど(笑)
投稿者 風来坊 : 08:52 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月19日
櫛の歯が抜けるように…
またぞろ、夜行列車の終焉が噂されている。
昨日付けのニュースですけど寝台特急「出雲」廃止も JR西、乗客減で検討と言うヘッドラインを読んだ。
噂されていた事が本当に動き出しそうな気配だ…
現代の視点で見ても寝台列車の需要という物は確かに存在するはずだ。
時間の有効活用であったり、快適な車内であったり、そしてなにより、個室寝台化を押し進めた列車ではプライバシーの確保という点がより高い顧客満足度を得ていると聞く。
しかし、それはあくまで一握りの話。
無駄に高い寝台料金、決して静かとは言えない車内、解放寝台ではカーテン一枚のプライバシーも問題だ。
新幹線や飛行機で移動し現地で安宿に泊まる、そんなスタイルが定着しつつある今、寝台列車をもっとアピールして行かねばならないはず。
そもそもブルトレなどという存在を知っているのは鉄以外だとほんの一握りな訳で、それこそキムタクと工藤静香の夫婦に寝台で行く旅!見たいなコマーシャルでもやって貰わない限り…無理だろうなぁ、高いもの。
櫛の歯が抜けていくように列車が削られていくブルトレの現在。
次に消えるのはどの列車でしょうねぇ…
投稿者 風来坊 : 18:43 | コメント (2) | トラックバック
2005年12月11日
鉄道の終焉 ~ 高千穂鉄道・再建を断念か…
鉄道関連のニュースをRSSで一括して読めるようになったのはとても有り難いことなんですが、それでも、洩れることがあって見落としたりRSS配信されてなかったりするんですけどね
共同の発でYahooニュースに出ていたのですが高千穂鉄道、廃線へ 部分運行も断念と言う見出しを見つけました
ソースが朝日と並び称される共同ですので飛ばし記事だと信じたいのですが、よりにもよって地元メディアである毎日の宮崎から高千穂鉄道:経営安定化基金「来年度にも底突く」--県議会で知事が答弁 /宮崎との報です…
日本各地で第3セクター鉄道が断末魔の絶叫を上げています
銀河線はローカル鉄道終焉の発端に過ぎない、そう、たんなる「終わりの始まり」でしかないと思ってきました、そしてそれは現実の物になろうとしています
いや、もっと正確に言うならモータリゼーションの発展に伴って日本各地の鉄道が続々と鬼籍に入った昭和40年代から続く日本の鉄道終焉の時代、その目撃者に我々の世代はなろうとしているのかも知れません、国鉄の特定路線廃止政策に抵抗するように誕生した第3セクターとて、問題の先送りを計っただけの物だったのでしょう
以前、ある同じ趣味の人物とこの話題で話をしたことが有るんですけど、その時この人物からフッと口を突いて出てきた言葉
「その内アメリカや中国へ鉄道を撮りに行く時代が来るね」
と言うのを怖いくらいリアルに実感しています
次の鉄道の100年を考えるとき、生き残っているのは新幹線だけかも知れません
他の規格から一切の干渉を受けず、独立したシステムとして動ける新幹線は鉄道でありながら飛行機などに近いのでしょう、高度なシステムとして機能を発揮する在来線のシステムはそう遠くない将来運ぶべき乗客の大半である通勤客を失う時代が来そうですし
あと2年で団塊の世代が大量離職しそうです、そして櫛の歯が抜けていくように通勤客は減って行くでしょう、その次の世代は完全に車世代です
どこへ行くにも車で育った世代です、自分のプライベート空間が他人と完全に隔離されていないと安心できない世代です、通勤電車のシートで安心して口を開けてグゥグゥ眠れるなんてあり得ない世代ですから
都心部ではそもそも人口がまだまだ有るために乗車乗客数/地域住民数の比率が多少少ない数字であっても、それなりに数はあるでしょうから、まだまだ鉄道のシステムをペイできる収入になると思います
しかし、地方の鉄道はもっと悲惨だと思います、過疎が進む地域ではそもそもの乗客数の分母となる地域住民数が少ないのですから…、その数は言わずもがなですよ
鉄道趣味人の狭量な視野や心情的な部分で鉄道廃止を叫んだ所で、本来運ぶべき乗客が居なくなった鉄道に意味はないはず、鉄道とは人や物を運ぶ手段であって鉄道が目的になるのは本末転倒も甚だしいです
地域の住民をどう確保していくのか、鉄道を維持したければ沿線に人口を増やすしかない
その為に何をすればいいのか?本質的に鉄道離れを止める方法とは一体なんでしょうか?
まず補助金ありきの考え方から鉄道企業が抜け出せない限り、先細り体質は解消しないと思います…
しかし、高千穂鉄道なぁ…
投稿者 風来坊 : 15:18 | コメント (0) | トラックバック
2005年09月09日
高千穂鉄道・廃線の危機か?!
九州は宮崎の旧高千穂線を引き継いだ高千穂鉄道が台風14号に手酷くやられてしまった
ソースが朝日新聞と言うのもどうかと思うが(笑)、高千穂鉄道、廃線の危機だ、そうである
復旧には流出した橋梁2箇所を再建せねばならず、そもそもの高千穂鉄道自体が慢性赤字で苦しんでおり、来年6月を目処として経営改善か廃止かを検討していたのだと言う
正直、この鉄道自体を復旧させるだけのコストを考えれば、相対的な社会的利益はコストをペイできないと思います
地元からも「今の社会情勢では町に借金してまで残せとは言えない。感情的にならず、客観的に判断してもらうしかない」と比較的冷静な意見が出ています
どうなんでしょうね…
罹災しなかった区間だけで細々と走るのもアリだとは思いますが…
突然、九州に行きたくなったのは偶然ではなかったのかなぁ…
投稿者 風来坊 : 20:38 | コメント (2) | トラックバック
2005年07月03日
鉄路は繋がっている
野球を見た帰り道、横浜駅でこれを見つけた
なんの事はない一般告知の張り紙なのだが・・・・・

鉄路は繋がっている
鉄路は遠くまで繋がっている
今自分が見た鉄路をどこまでも辿っていくと
そこには大雨と戦う鉄路がある
遙か遠く600kmの彼方では大雨で正常なダイヤを維持できなくなっているのだろう
改めて長距離列車という物の存在を確認した瞬間だった
鉄路が繋がっていると言う事実をさりげなく主張していた
で、
どうでも良いのだけど・・・
この紙、実は真っ白でした
しかしミックス光源でカラーバランス。ホワイトバランス共に・・・・・ orz
投稿者 風来坊 : 22:48 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月01日
もう一つの廃線計画
まえまえから囁かれていた事ですが…
ついに神岡鉄道廃止の方針との事です
3セクの大崩壊が始まろうとしていますね
銀河線の廃止申請はその序章に過ぎなかったのだと思います
どこも地元の面子をかけて国鉄から3セクへと移行したのですからね
おらが線路は苦しいけれど…
だども最初に廃止しちゃならね…
それだけで頑張ってきたのでしょう
銀河線、神岡鉄道
この3セク両社が廃止の道筋を決めました
樽見鉄道も時間の問題と噂されています
秋田内陸線や筑豊鉄道など路線長があって乗客減に歯止めが掛からない現状では、鉄道を維持する理由が乏しくなってきています
総合交通体系だのインフラの再投資には莫大な経費が掛かるだのと尤もらしい理由を叫び廃止反対を叫ぶ人は多いですが
利用客ゼロになったとしても同じ事を言うのでしょうか?
鉄道と言えども客商売です
お客が居なければ商売にならないわけでして、そこに血税を投入するに足る理由がなければ廃止もやむなしでしょうね
車社会の弊害は各所で問題になっています
でも、その多くは利用する側の問題で解決できる筋道は見えています
かつてそこに鉄道があった事を後世に残すために
ちいさな灯火を残す人が現れる事を祈っています
投稿者 風来坊 : 21:23 | コメント (0) | トラックバック
2005年03月27日
いや…
どうなるかヒヤヒヤしていたのですが…
いや、正直言えばこうなる事は分かっていたんですがね
銀河線廃止のニュースが来ました
予定通りなんでしょう
ケツを持ってくれる筈だった宗雄ちゃんも昔ほどの権勢は無し
言うなれば超鉄板出来レースで廃止に向かっていたんでしょう
CTC化も何も地元に体良く金を廻すための方便でしかったのでしょう
3セク化によって僅かでも地元にお金が流れれば…
そんな時代ですら昔語りになるのでしょうね
特定廃止路線の3セク化で生き延びたローカル線はどこもかなり厳しい経営状態なはずです
どこが最初に廃止になるのか?自社がトップバッターにだけはなりたくない
それだけの理由で必死に頑張ってきた所も多いと思います
この廃止は始まりに過ぎないでしょう
間違いなくローカル線粛清の時代が再び幕を開けます
まずは厳しい3セクから
次は地方の瀕死のローカル私鉄
そして大手私鉄のローカル区間にも大鉈が…
最後の本丸はメンツと営業規模でカバーしてきたJR本州3社のローカル区間
次の10年を覚悟しよう
そして我々に出来る事を成そう
我々の仕事は廃止反対運動ではない
一方的感情論で廃止判断をした経営陣を断罪する事でもない
くだらない感傷論や子供じみた弱者救済の詭弁で赤字を容認する雰囲気作りでもない
今を記録しよう
今この時を走る姿を記録しよう
今そこに鉄道がある光景を後世に残そう
かつてここに鉄道があった事を
次の世代に伝えるために
撮影派鉄道趣味人の一人として
私は私の出来る形で鉄道があった事を後世に伝えたい
2005年01月01日
宣言
ここに私は誓う
常に感謝する心を忘れない
常に挑戦する心を忘れない
常に前進する心を忘れない
転がる石に苔は生えない
流れる水は腐らない
いつも新鮮な気持ちで常に対峙出来るように自らを高めていこうと思う
万物に心と魂は宿る
大海原を吹き抜ける風のように
草原に影を落とす雲のように
渓谷を割り進む川のように
いつも自然な形で
何かを残していこう
今ここに
新たなサイトの誕生を宣言する
皇紀2665年
平成17年
元旦
2004年12月31日
過去より未来へ
カンテラ [(蘭語) kandelaar]
それは携帯用の灯油ランプ
鉄道員がかざす灯り
安全輸送の重責を負う者の情熱のともしび
そして
鉄道を愛する全ての人々の胸に灯る
果てしない夢への道しるべ
果てし無い憧憬への灯明
少年の日の憧憬への灯明
誰の為でもなく
自分の思う鉄道の姿を伝えていきたい
時は滔々と流れる大河のよう
決して立ち止まってはならない
決して立ち止まってはいけない
やがて歴史となる時代の姿を記録しよう
かつてそうだったように
今がそうであるように
これからそうなるであろう
地方だとかローカル線だとか私鉄線だとか
そのような柵をすべて飛び越えて
世代交代の波を見つめよう
次の世代が台頭してくる日の為に
昔語りの縁り代として記録と記憶を遺そう
多くの先人が残した過去の記録が決して色褪せぬように
後世の人々へ緩慢に衰退していく鉄道を伝えよう
1000年の後
かつて鉄道と言う交通機関があったと考古学者が語る時のために
インターネットの広大な世界へ自らの記憶をばら撒いていこう