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2008年04月20日

3回忌

 このエントリは共に銀河線へ通った酒呑童子師匠のBlog「さすらいびとの子守唄」へトラバしています。

 『生涯の目標』などと柄にもなく大層な目標としている人物の一人に広田尚敬氏がいます。
 言うまでも無く鉄道写真界における最大級のビッグネームですね。

 いつぞや・・・・ 碓氷峠の最終日だったかですが、ほんの僅かにお話をした事があります。
 その時の印象があまりに強くて、それで目標足りえてるのかもしれません。
 何の質問だったか、詳細は忘れましたが、氏の試行錯誤時代のエピソードの一つに、古いバケペンを改造し、もっと古い時代のレンズを取り付け流し撮りをする話がありました。
 なんでわざわざ撮り難い思いまでして他社レンズを取り付けるんだろう?
 そんな質問を不躾にもストレートにぶつけてみたんですね。

 その時。
 歴史が動いた!では有りませんが、広田氏の言葉を今も忘れられません。

 『心に突き刺さる写真を撮りたい。そのための試行錯誤です』と。

 そして、そのあと、私が広田先生と呼んでいたのを軽く窘められ、『私は一人のカメラマンです』と付け加えられました。
 どういうわけか私も齢を四捨五入すると不惑に到達し、その関係か知人・友人等を経由したり、はたまた直接目にしたりと、いわゆる「プロ・カメラマン」と言う職業の方と接する事が増えています。
 その中で大概感じる違和感と言うか、不遜な感覚とでも言うんでしょうか。無駄に偉そうぶってる痛い人がいるわけです。全部が全部と言うわけでは有りませんが、立場的に不遇だったり、或いは不当に低い評価だったり。そんな感じで誰かの後塵を拝する立場の人ほどその傾向が強いです。
 ですから、その時に、広田氏から「カメラマンです」と言われたときに感じた孤独さと言うか、孤高感と言うのは筆舌に尽くしがたいなぁと。そう思うわけです。

 で、なんでそんな話をするのかと言うとですね。
 氏の言われる「心に突き刺さる写真」と言うものを何となく普段の撮影の裏テーマとして持っているのですが・・・・・
 熱に浮かれたように通った銀河線の最終日が怒号と喧騒のうちに終ってしまい、何となく閑をもてあましたその翌日の朝の事。
 北見の宿から抜け出してもはや遺構となった銀河線の線路端を走った時、北見に程近い踏み切りでこのシーンを見かけました。

 日本全国へ続いてく一条の轍。
 鉄の路が無残にも断ち切られている光景。

 本当に。もう本当に涙も出ない程、見事に心へと突き刺さる光景でした。

 今だから言いますが・・・・ね。私だって思ったわけです。
 ほんのわずかな可能性として復活するかもしれない。
 時代が急転換して、鉄道を必要とするかもしれない。
 だからその時の為に、せめて軌道くらいは残すかも・・・・

 すべてが無残に打ち砕かれました。

 四季を通じて通った銀河線。
 距離が距離だけに、それこそ会津へと通うようなペースは土台無理でした。
 でも、少なくとも四季を通じてどのシーズンも一度は足を運んでいます。
 そして、やはり冬場の銀河線は白眉でしたね。

 氷点下20度近い川上を通過していく列車。
 据えた三脚を素手で触れば間違いなく張り付きます。
 グローブ越しのオペレーションももどかしく、息を止めて覗いたファインダーは光がキラキラと煌いていました。
 吐き出す息の水分がカメラに付いてしまうと、そこから凍りだすほどの寒さです。
 ぐっとこらえて真剣に見ていたら、かるく酸欠になったりして・・・・(笑)

 この駅も実によい雰囲気でした。
 こんなところに駅があるなんて・・・・
 何度もそう思ったロケーションでした。

 わが国最初の本格的な保存鉄道を目指した陸別町は、この駅までの運転を計画していたそうです。
 しかし、まぁ、例によって判例主義・前例主義・事なかれ主義の官僚システムをねじ伏せる事が出来ず諦めたそうですね。
 保存鉄道は営利では駄目なんだそうです。また、遊園地のアトラクションと同じで、始点と終点が同一で、なおかつ中間駅は認められないのだとか。
 任意の2点間を結び、なおかつその中間に駅を設けることが出来ない法制度では、本格的な保存鉄道は無理ですね。
 法の抜け道を作らない。そんな一大原則に則った政治機構は、時として息苦しさももたらす訳です。

 正直に言えば、陸別と川上の間に撮りたいアングルがいくつかありました。
 保存鉄道を撮ろうと思っていたんです。
 でも、それも消えてしまいましたね。

 今を撮っておくこと。
 改めて。何度も痛い思いをしてるはずなんですが、それでも、改めて思います。

 今。今を撮っておかないと。
 将来、必ず後悔する。
 誰のためでもなく。

 銀河線の三回忌に寄せて、自分への戒めもかねて。

投稿者 風来坊 : 2008年04月20日 22:30

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コメント

このエントリへは各方面より様々な反応をいただきました。
自己陶酔の毛が強いと思いつつも、わりと本音で書いた部分に反響をいただけると、大変うれしくありますね(^o^)

ぱれおさん>

 もう2年ですよ。早いものです。
 思い入れと言う部分で言うならどうしても酒の師匠に一歩譲りますが(汗)
 なんと言うか、自分の成長を確かめるとでも言うんでしょうかね。
 あの碓氷峠の最終日に感じた怒りとか不条理さとか、そういう青臭い部分でなくて、どれほど口を開いてみたところで自分からアクションを起こして行かなければまったく無意味だと悟った時の憤り感をどうコントロールするか。
 そんな感じで最後の半年くらいはやたら醒めた目で沿線とか銀河線自身を見ていた気がします。

 でも、やっぱり最終日はいろいろと思うものがありました。
 あの日から、あの4月20日の夜11時過ぎから。
 自分の中で北海道の魅力を形作る大きなピースが一つ欠けてしまったのを実感します。
 そのピースを埋めるだけの被写体を、まだ北海道で見つけられていないんですよね・・・・

jzx81さん>

 過分な評価を戴き、なんともこそばゆい程に舞い上がっております(笑)
 問題提起と言う部分は・・・・、まぁ、つまり空気が読めてない証拠かと言う感じですよ。
 もっとうまく物を言えれば敵を作らないで済むのにと思いつつ、いつも同じ事を繰り返しています。
 学ぶって事が出来ないでいる劣等生だなぁと(笑)

 横川で目にされた物って、あの軌道を押しつぶすように置かれた終点のブロックと、信号に貼り付けられたバッテンマークでしょうか?
 実は私も目にしてまして、あの時には私もシャッターを押すだけの力がありませんでしたよ。
 言い換えると、単純に舞い上がって勝手に熱くなって、周りで嘆いたり打ちひしがれてる人が見えなくなっていたんでしょうね。
 あの光景を冷静に見られるようになっただけ、自分は大人になったのかなぁと、そんな気がしています。

 まだ表面の光るレールが無残に断ち切られ、そこへ突き刺された車止めの電灯標。
 まるで心臓へ打ち込まれた樫の杭のようです。
 本当に心に突き刺さる光景でした。

投稿者 風来坊 [TypeKey Profile Page] : 2008年04月21日 23:32

いつもながら問題提起のようなエントリーには深く考えさせられます。
その道を極めたと誰もが思う人ほど謙虚な振る舞いをされるんですよね。残念ながら広田氏は雲の上の存在でお目にかかることさえ未だ無い状態ですが、そのような方でもご自分ではまだ道を極めていないと努力されているのですね。お召しやイベントの時に一般趣味人と同じ場所で同じアングルで撮ったプロと呼ばれる方の写真を見ても何とも思わないのはその場に居さえすれば撮れる写真は自分でも撮れるという自負があるからなのでしょう。ですが「心に突き刺さる写真を撮るための試行錯誤」は既成概念に捕われないオリジナルの追求ですからそこに芸術性が生まれるのだと思います。

私は「心に突き刺さる写真」は無理にしても、鉄道に興味の無い人に見せて「いい写真だね、これ」と言われるような作品が作れればとは思っているのですが、道は険しいです。
断ち切られた鉄路、志半ばにしての壮絶な最期は強烈なインパクトですね。私も同じような光景を横川で見ました。ですがカメラを向けられなかった私は現実を直視出来ないヘタレです。

投稿者 JZX81 : 2008年04月21日 21:09

もう2年になるんですね。
私にとって銀河線は2回くらい乗っただけの路線になってしまい、風来坊さんのような思い入れはありませんが、写真を見ると一度は行っておけば良かったかなとも思います。
北海道自体が遠い存在になってしまいましたが。。

投稿者 ぱれお : 2008年04月21日 08:12

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